昭和45年05月17日 夜の御理解 御理解紹介は 450817ヨルと言うが正か誤か不明



 信心を頂いておって、まぁ間違わんように間違わん様にと、させて頂いておりましても、生身をもっとる凡夫の事ですから、いつどこから間違うてくるやら、いつどこから思い上がった生き方になるやらわかりません。または思い違い考え違いがあります。けれども時々私共のようにこうして、お取次ぎの御用でもさして頂かなければならん者は、特別そこんところを心得とさして頂くんですけれども。
 まぁややもすると間違おうとする事ばっかりで、本当にこれがもう私共は日に何回となしに、神様からはぁこりゃ間違ようるぞ、それはこうこれはあぁぞとこうお知らせを頂くから、おかげを頂いてねおかげを頂いて間違わんで行きょる。もうほんとに一つおかげを頂きましてね。いかにもその教えをあのう本当にお互いが用心しておらなければ、いわゆる心掛けておかなければ、もう自分のね、例えば会議一つでもですね、はぁそんな事で若信者というて下さらななければ、また何時の間にか崩してしまうもんですよね。
 あのう今日も私下がってから、親教会のきょうは月次祭でしたから、うらしひらこうと思うてから準備しょりましたけれども。もうとにかくまた例のこう身体がきつくなる、きつくなって足袋まで履きましたけれども。またとうとう足袋脱いでから休ませてもらいました。そしてあのう休ませて頂くぅましてから、どうととこ眠ろうかとしょる時に頂く事がね。ここのあのう旗が3本たっておりますね、さおがあのう両端にね旗が、日章旗がこう翻っている所を頂いた。
 真ん中にね何の旗も立っていないところを頂いたんですね。そこを御理解頂きましたら今日はねお前は身体がきついなら横になって寝れって。けれども2時を待てって、2時から昼の交渉をさしてもらいます、4時の御祈念までですからそれまで眠らんで2時を待っとけと言う事を頂くんですよ。信者たちが例えば両方に日の丸と言う事は、日の丸と言う事は赤心と言う事でしょうが、真心一杯で今日は暑い中を、一生懸命大祭前の御奉仕をしておるぞっと。
 だからまぁ横になっとるとも良いけども、眠っちゃいけんぞとこう言うて下さるんですよね。どうでしょうね私がもしそれぞがなかったら、眠ってさぁ2時が3時までも眠ったかも知れんよね。もう本当にあのうその調子ですよ、今日もあの先ほど今日は午後から茂雄さんが、あのうここが大祭前の御用がこの出来なられんもんですから。あのう調度品の取り換えなんか私がしないと分かりません。で今日もさすこへ少年少女会の子供達を相手にしてから、まぁ客殿から全部あのう調度品を変えさせて頂きましたんです。
 で親先生何かともかくあっち行ったりこっち行ったり、ものを出したり納ったりとか大変私に手を使ったんですけれども。そんな訳で今日夕方遅うなりなりましてね、夕食ももうさっき済ましたばかりです。それでちょうど久富先生と高橋さんが一緒に、団参支部致しましたが今日まぁ疲れとると言うのでしょう。おビールを2本持ってきておりました。ですから何時もなら私がね、はいそのちゅうてからまた1本、私と高橋さんが1本を半分ずついよいよならいきかたなんです。いつもそうするんです。
 それけ私今晩もそうさして頂こうと思うておりましたら、神様がねあのう優雅でないと言う事を頂きました。優雅ね。上品に優雅な生活と申しましょ。私は本当例えば同じ晩餐でもです、ますこし楽しゅうなんとかせっかく、滅多に頂かないビールを頂くんだからすこしね、3人で具合よう言うならコップ廻しながら頂いたらどうかと、まぁコップ廻しながらだけじゃないですけれども、3人で開いたらどうかとというkと何ですよ。だから私今日は3人で一緒に2本をまぁ頂いた訳ですけれども。
 なにしろりっちょげこと同んなじなんですよ、やっぱり私共が高橋さんが召し上がりませんから。私もなら1本ちょうせい結局やはり、おもしが1本以上になっとるぐらいでしょう。けれども久富先生あんたもいかに呑むけんでっち言わんばっかりのごとしてから、あんた1本もらった言うてやりょるからですね。3人でほんとコップをこう頂きながら2本のビールを3人で頂くと言う事の方が、どれだけ優雅か分からん。
 ちょっとその茶飯事のね、そう言う事にでも神様がおさっし下さるですよ。ですからね私が言う事は確かに間違い、まぁ皆さんよりも誰よりも間違いない事ですから、どうさしとっても注意されたらそれを本当直さにゃいかんです。はぁそげな事はいかんよと言われたら、本当に神様からさぁそういう言われておると思うてですね。あのう直さなきゃいけません。自分の我情が出てね、変ぇんなもう合楽に似ても似つかん様な流儀が出来たりしたらいけません。
 それは私の流儀がよわりょうるだんだん、この私の流儀はいわゆる優雅なものにいうならばね。こうやって神様があのうこれが本当じゃないけれど、より本当の方へ神様が導いて下さることは間違いないのですから。問題はは皆さんが私に付いて来れば間違いなかと言う様な気が致しますですね。もうそれでなくても私共の人間的な思いというものがね。非常に頑固に頭からはずれません。
 これがほんな事と思い込んでの事であります。けれども神様はちょっとそこを反らさせて頂くと、とても楽な事になって来る事もあります。または成程それが本当だと私が付かして頂くような事もありますからね。もう本当にやはりそこんところをお伺いしお伺いし、あのう又はそこを見習い見習いさして頂きながら、おかげをこうむって行かなきゃならんと思うですね。
   どうぞ。